東京地方裁判所 平成9年(ワ)28322号 判決 2000年11月10日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
坂本成
同
栄枝明典
被告
株式会社東京貸物社
右代表者代表取締役
石渡享
右訴訟代理人弁護士
原口健
右訴訟復代理人弁護士
設楽公晴
主文
一 被告は,原告に対し,金30万円を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は,これを10分し,その1を被告,その余を原告の負担とする。
四 この判決は,第一項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 原告が,被告に対し雇用契約に基づく権利を有することを確認する。
二 被告が原告に対し行った平成7年8月15日付けの出勤停止処分は無効であることを確認する。
三 被告は,原告に対し,金300万円及び平成7年9月から第一審判決言渡しに至るまで,毎月25日限り金55万7900円を支払え。
第二事案の概要
本件は,原告が,被告のした出勤停止処分及び解雇の効力を争って被告に対し,地位確認,出勤停止処分の無効確認及び解雇以降の賃金の支払を求め,また,右違法な出勤停止処分及び解雇並びに原告がこれを各取引先に通知したことによって名誉を毀損され,また,精神的苦痛を被ったとして不法行為に基づく慰謝料の支払を求める事案である。
一 当事者間に争いのない事実等
1 当事者
(一) 被告は,展示会場の賃貸等を業務とする株式会社である。
(二) 原告は,昭和49年4月,被告と期限の定めのない雇用契約を締結して以降被告の営業担当として業務に従事し,平成5年4月以降は営業本部長営業企画室課長の職にあった。
2 本件解雇及び懲戒処分
被告は,平成7年8月15日付け内容証明郵便(<証拠略>)で,原告に対し,平成7年8月16日から出勤停止30日の処分を通告し,併せて30日の解雇予告の上,平成7年9月14日付けで原告を解雇する旨通告した(以下「本件解雇及び懲戒処分」という。)。
右内容証明郵便には,本件解雇及び懲戒処分の理由として,概ね次のとおり記載されていた。
すなわち,原告が「Design彩工房」(以下「彩工房」という。)なる個人企業を設立し,同社において被告の業務であるイベント若しくは展示会の設営業務と一部競合する業務を営んでおり,このため,原告は,顧客から被告が受注すべき業務の一部を彩工房に割譲して被告の犠牲のもとに不当な利益を得,あるいは被告において受注すべき業務の全部を他に受注させ横流しするなどの背任的行為を将来にわたって行い,若しくは過去行ってきた重大な疑念が存し,また,このような行為が被告の他の従業員に著しい士気の低下をもたらす等深刻な悪影響を及ぼすおそれが明らかであり,しかもその情状が悪質であるというものであった。
3 就業規則
本件に関する被告の就業規則は次のとおりである(<証拠略>)。
第26条(予告解雇)
従業員または会社が,次のいずれかに当たるときは,30日以前に解雇予告をするか,または,平均賃金30日分以上の解雇予告手当を支払い解雇することがあります。
(1号ないし4号省略)
5号 やむを得ない業務上の都合があるとき
(6号省略)
7号 その他の相当の理由があるとき
第45条(従業員の責務)
(1号ないし5号省略)
6号 在籍のまま許可なしに他に就業しないこと
7号 退職後3年間は同業他社に就職しないこと,および個人または会社として同業を営まないこと
第69条(訓戒)
従業員が次の各号に該当する場合は,訓戒に処する事がある。
1号 服務規律に違反したとき
(2号ないし6号省略)
7号 前各号に準ずる行為のあったとき
第71条(出勤停止)
次の各号の1に該当する場合は,出勤停止に処する。
但し,平素の勤務態度,勤務状況,その他情状により減給にとどめることがある。
(1号ないし4号省略)
5号 第69条,70条に該当し情状が極めて悪質なとき
6号 前各号に準ずる行為のあったとき
第72条(即時解雇)
次の各号に該当する場合は,即時解雇に処する。
但し,平素の勤務態度,勤務状況,その他情状により出勤停止にとどめることがある。
(1号ないし6号省略)
7号 会社の承認なくして在籍のまま他に就職したとき
(8号及び9号省略)
10号 業務上の地位を利用して私利を得たとき
(11号ないし14号省略)
4 賃金
原告が被告から得ていた月額賃金は,基本給30万7100円,管理職手当14万円,住宅補給手当1万2000円,食事補給手当2万5000円,調整手当4万6700円,通勤手当2万7100円の合計55万7900円であり,毎月25日払いであった(<証拠略>)。
5 地位保全等仮処分申立事件
原告は,本件解雇及び懲戒処分の効力を争って,当庁に対し,原告を債権者,被告を債務者として,地位保全及び賃金仮払いを求める地位保全等仮処分の申立てをした(平成7年(ヨ)第21195号,以下「本件仮処分」という。)が,平成8年8月26日,被保全権利が認められないとして,原告の申立ては却下された。原告は,これを不服として東京高等裁判所に対し即時抗告をした(平成8年(ラ)第1511号)が,平成9年11月7日,右即時抗告は棄却され,原告は,同年12月29日,本件訴訟を提起した(<証拠略>)。
二 主たる争点
1 本件解雇及び懲戒処分の効力
(一) 被告の主張
(1) 原告は,被告在職中の平成5年3月ころまでに彩工房なる個人企業を設立し,また平成6年12月21日には有限会社プランズ・アクト(以下「プランズ・アクト」という。)設立に際し,友人であるA(以下「A」という。)とともに資本総額300万円の半額である150万円を出資し,Aと共同し,または原告単独で被告と競合する業務を行い,その対価を得ていたものであり,具体的には次のような行為をしていた。
<1> A社(以下「A社」という。)
被告は,平成元年ころから,原告の担当するA社が横浜地区及び新宿エルタワー等で主催する各種イベントの会場設営業務を直接受注するようになったが,平成3年中ころから株式会社B社(以下「B社」という。)が介在するようになった。そのため,被告は,現実に施工するにもかかわらず,直接受注の場合よりも低廉な金額で,B社から下請業務を受注せざるを得なくなった。
<2> C社(以下「C社」という。)
被告は,平成4年ころから,原告の担当するC社の各種セミナー等の会場設営業務を直接受注してきたが,平成7年初めころからプランズ・アクトが介在するようになった。そのため,被告は,A社の場合と同様,直接受注よりも低廉な金額でプランズ・アクトから下請業務を受注しなければならなくなった。特に,平成6年9月10日と平成7年3月4日の2回にわたり新宿エルタワービルで開催された「C社3階建てセミナー」について,被告は全く同一内容の施工業務を行ったが,前者の受注金額が110万円であったのに対し,後者はプランズ・アクトが介在したため,同社が173万0400円で受注したものを73万円で再受注することを余儀なくされた。
<3> D社(以下「D社」という。)
被告は,原告の担当するD社からは,主として学校の受験会場設営や就職セミナー会場の設営業務等を看板本体の制作を含めて一括受注していた。ところが,平成6年10月以降,看板本体の制作業務はことさら除外されるようになった。しかも,このように看板本体の制作業務が除外されるようになったのはD社にとどまらなかった。
これら看板本体の制作業務は,原告がB社,プランズ・アクト,彩工房に受注させ,不正に利益を得ていたものである。
原告のこれらの行為は,出勤停止処分を規定する就業規則69条1号及び7号に該当し,その情状が悪質であるから71条5号及び6号が適用され,即時解雇を規定する72条7号及び10号に該当する。そこで,被告は,平成7年8月15日付けで,原告を出勤停止処分に付すとともに,念のため26条5号及び7号により30日間の予告をして平成7年9月14日限り解雇する旨の意思表示をしたのであり,本件解雇及び懲戒処分は正当な理由に基づいて行ったもので有効である。
(2) また,原告は,被告に対し,その住所を栃木県足利市伊勢町<以下略>と届け出て,右住所と会社との間の通勤交通費月額2万7100円を受給していたが,実際には,右住所には妻子のみ居住し,原告は肩書住所地のマンション(以下「荻窪のマンション」という。)に居住しており,右通勤交通費を不正に受給していた。
(3) なお,原告は,本件解雇及び懲戒処分に際して,原告に対する告知聴聞を行っておらず,このような解雇及び懲戒処分は違法かつ無効であると主張するが,被告の就業規則には解雇及び懲戒処分に際しての告知聴聞手続に関する規定はなく,このような手続を取らないことが本件解雇及び懲戒処分を違法あるいは無効たらしめることはなく,原告の主張は失当である。
また,被告は,原告に対し,平成7年8月15日,内容証明郵便だけでなく,口頭でも本件解雇及び懲戒処分を通告しており,原告はその際,弁明が可能であった。
(4) さらに原告は,被告が就業規則をその従業員に周知させていないから,このような就業規則は無効であり,これを適用することは許されず,本件解雇及び懲戒処分は違法かつ無効であると主張するが,被告は,就業規則の制定,改訂にあたり周知手続等を適宜履践してきており,従業員はその存在及び内容を知っている。また,就業規則を周知させないことは当該就業規則を無効たらしめるものではないから,原告の主張は主張自体失当である。
(二) 原告の主張
本件解雇及び懲戒処分は,次のとおり違法かつ無効である。
(1) 被告が原告の解雇事由として主張するような事実はなく,本件解雇及び懲戒処分は,不当な動機に基づくものである。
原告が,彩工房名義で銀行預金口座を開設したのは,平成5年4月にデザイン学校に入学する予定であった娘の花子のためであったが,原告が被告でアルバイトをしていた学生時代からの知り合いで極めて親しいAからその口座を貸して欲しい旨依頼され,Aに貸したものである。Aは当時B社を経営していたが,自己の営業のために右口座を使用したのであり,原告が彩工房名義で営業を行ったり,利益を得たりしたことは全くない。
なお,Aが原告から彩工房名義の口座を借りることにしたのは,B社の共同経営者がその顧客であるD社の元従業員で同社を退職する際にトラブルがあったことから,D社との間ではB社名義で取引をすることができなかったからであった。
そして,原告の主張する<1>ないし<3>は,次のとおり事実でないか,あるいは著しく事実を歪曲するものである。
<1> A社の件
A社の横浜営業所と東京本社はそれぞれ独立採算制を取っており,被告は平成3年6月1日に開催されたイベント以前にはA社の東京本社から直接発注を受けたことなどない。そもそもA社東京本社の右イベントの設営業務の話を持ち込んできたのはAなのであって,被告が直接受注してきたものにB社が介在するようになったものではない。
<2> C社の件
C社は,平成7年3月4日開催の「C社3階建てセミナー」に先だつ同年2月16日開催のH社のセミナーと懇親パーティーをプランズ・アクトに発注し,それが成功裡に終了したことから,「C社3階建てセミナー」もプランズ・アクトに発注することにしたのであり,C社の自由な判断によるもので,原告がプランズ・アクトに発注するように働きかけたことなどない。
<3> D社の件
被告が,従前D社から受注することができたのはもともとAと原告との個人的な関係によるものであったところ,AがD社から独立して看板制作が行えるようになったのでB社やプランズ・アクトが受注するようになったにすぎない。また,Aは独立後もB社やプランズ・アクトとして被告にイベント等の設営業務を発注し,むしろ被告に利益をもたらしていた。
また,被告は,原告が通勤交通費を不正に受給していたと主張するが,そのような事実はない。原告は,被告に対し届け出たとおり,栃木県足利市に居住していたが,業務が深夜に及んで帰宅できない折などに荻窪のマンションに寝泊まりしていたにすぎない。そして,原告は,被告代表者に対し,荻窪のマンションから栃木県足利市に転居することを申告していたが,その際,被告代表者から,深夜帰宅の場合,栃木県足利市までのタクシー料金は支払えないとの話があったので,原告は,仕事の状況に応じて荻窪のマンションも利用するので被告には迷惑をかけないようにする旨返答し,被告の了解を得て,通勤交通費の支給を受け,仕事が深夜に及んでタクシーを利用する際は降車場所を荻窪のマンションとしてその料金を受け取ってきた。
右のとおり原告には,本件解雇及び懲戒処分に該当するような事由はない。被告が本件解雇及び懲戒処分を行ったのは,銀行から被告に出向入社した社長室長のB(以下「B社長室長」という。)が,独断的に被告の体制の変更を実行しようとしていたのに対し,それを批判し,正しいことは正しいとはっきりという原告を個人的に嫌悪していたこと,また被告代表者も右のような言動を行う原告を疎ましく思っていたことによるのであり,何ら正当な理由はなく,不当な動機に基づくものであった。
(2) 被告は,本件解雇及び懲戒処分に先立ち,原告に対し一切告知聴聞の手続を取っていない。
被告は,平成7年8月15日,原告に対し,突然本件解雇及び懲戒処分を通告し,告知聴聞の手続を取らなかった。口頭で通告する際も,被告は,本件解雇及び懲戒処分の理由を説明せず,原告に弁明の機会も与えなかったもので,本件解雇及び懲戒処分は,その手続が違法であるから,違法かつ無効である。
(3) 被告は,従業員に対し,その就業規則を周知させていないから,このような就業規則は無効であり,原告に適用することは許されない。
2 慰謝料
(一) 原告の主張
前記1(二)のとおり,本件解雇及び懲戒処分はいずれも違法かつ無効である。また,被告は,平成7年8月15日付けで,不特定多数の取引先に対し,原告を不都合な事情により解雇した旨の通知を出して原告の名誉を毀損した。原告は,被告のこのような違法な本件解雇及び懲戒処分並びに取引先に対する解雇の通知により,就労ができなくなっただけでなく,名誉を毀損され,社会的信用を失い,また多大な精神的苦痛を被ったもので,その慰謝料は300万円を下らない。
(二) 被告の認否
被告が取引先に対し原告の解雇を通知したことは認め,その余は否認ないし争う。
右通知は,十分な根拠に基づき,かつ原告の名誉にも配慮した上,原告の担当事務引継ぎの必要最小限の情報を取引先に開示し善処を依頼したにすぎないし,そもそも右通知には原告の具体的な行為に関する摘示は一切含まれていない。
第三当裁判所の判断
一 証拠(<証拠・人証略>)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められ(争いのない事実を含む。),右証拠中これに反する部分は採用しない。
1(一) 被告は,展示用具その他の用具の賃貸,展示会場の賃貸を主たる目的とする株式会社であり,展示会場の設営・撤去等のイベント施工,椅子・テーブル・照明器具等のイベント器具,什器リース,各種シンボル造形・アーチ・看板等の各種造作物の制作,会場の予約,イベント会場の設営等の業務を行っている。
(二) 原告は,大学2年生であった昭和45年4月ころ,被告にアルバイト従業員として入社し,昭和49年3月に大学を卒業して同年4月被告の正社員として就職し,それ以降営業関係の業務を担当し,平成5年4月から営業本部営業企画室課長の職にあった。
(三) Aは,原告がアルバイト従業員として被告に入社した当時,既に被告でアルバイト従業員として稼働しており,その後原告の居住していたアパートに引っ越してきたこともあり,原告と親交を深めることになった。Aは,その後昭和47年ころ広告代理店であるD社に入社し,昭和60年ころには営業部の主任の職にあったが,昭和61年,同社を退職し,同僚であったCと広告代理店業を営むB社を設立した。
(四) その後,Aは,B社の取締役を辞任し,平成6年12月21日,資本金300万円で,B社で行っていた業務を引き継ぐプランズ・アクトを設立した。そして,原告は,プランズ・アクト設立の際,資本金の半額に当たる150万円を出資し,取締役に就任した。
2(一) 原告は,昭和51年ころ荻窪のマンションを購入して妻子とともに居住していたが,昭和59年1月21日,栃木県足利市伊勢町<以下略>に住民票を異動し,右住所から会社までの通勤交通費として月額2万7100円を被告から受給するようになった。そして,原告は,妻子とともに同所に居住するようになったが,仕事が深夜に及んで帰宅が困難なときや翌日早朝に出勤しなければならないとき(通勤には約2時間半を要する。)など,荻窪のマンションに寝泊まりすることがあった。そして,被告においては仕事が深夜に及んだり,早朝から仕事をしなければならなな(ママ)いことも珍しくなかった。その後,原告は妻と離婚し,単身荻窪のマンションに再び居住している。
(二) 原告は,平成5年3月16日に10万円を入金して「彩工房代表者甲野花子」名義の銀行口座を開設し,荻窪のマンションの郵便受けには彩工房,甲野太郎,甲野花子(以下「花子」という。)と表示した。花子は,原告の娘であり,平成5年4月に東京都所在のデザイン専門学校に入学したが,同年8月に同校を退学した後地元で就職した。
(三) しかし,その後も彩工房名義の銀行口座は解約されず,郵便受けの表示もそのままになっていた。そして彩工房名義の銀行口座からは電気,ガス,水道,電話といった公共料金が毎月自動的に引き落とされていたほか,次のような入出金もあった。
平成5年7月13日 E社(以下「E社」という。)から125万円の振込入金
同月21日 D社から180万円の振込入金
同年9月17日 F社(以下「F社」という。)に230万9970円の振込送金
同年11月2日 D社から22万円の振込入金
平成6年5月2日 D社から80万3691円の振込入金
同月9日 G社(以下「G社」という。)に40万7365円の振込送金
同月20日 F社に30万円の振込送金
(ママ)6月30日 自動預金機から30万円の入金
同日 G社に130万8306円の振込送金
同年8月1日 D社から158万4691円の振込入金
同月10日 E社から130万円の振込入金
同年11月1日 D社から3万9691円の振込入金
同月17日 D社から8万0500円の振込入金
同年12月28日 マネーカード180による80万円の出金
同日 右同
同日 マネーカード180による60万円の出金
同月30日 D社から14万1691円の振込入金
ところで,彩工房名義の銀行預金口座から引き落とされていた公共料金は荻窪のマンションの使用にかかる分であり,その金額は平成5年3月から平成6年6月までの1年3か月間で約8万円であった。F社への振込送金は原告が花子と2人で使用するために購入した乗用車の代金と修理代であった。D社及びE社からの振込入金は看板類のデザイン,制作代金であり,G社への振込送金は看板製作代金であった。また,平成6年6月30日の30万円の入金は,その4,5日前に原告がAに渡し,Aが入金したものであった。
3(一) 被告は,平成元年ころから就職斡旋,広告代理業を主要な営業内容とするA社の横浜営業所と直接取引を行っていたが,平成3年6月1日,A社東京本社が新宿エルタワーでイベントを開催した際,被告は,A社から発注を受けたB社から原告を通じて再発注を受ける形でイベントの設営業務を行った。被告は,特に平成5年4月以降平成6年7月にかけてA社が関東一円の各会場において主催した就職セミナーの会場設営業務を,右のような形式で数十回にわたって受注した。しかし,平成6年12月以降は,被告は,A社主催のイベントについて,B社ではなく,プランズ・アクトから受注するようになった。
(二) 被告は,原告の担当していた取引先であるC社がH社(以下「H社」という。)から受注し,平成6年9月10日に開催された「C社3階建てセミナー」の会場設営業務を直接C社から受注して施工した。しかし,平成7年3月4日開催された右と同一内容の「C社3階建てセミナー」については,被告はプランズ・アクトから再発注を受けて会場設営業務を施工する形式になり,受注金額が前回の110万円から73万円へと減額になった。
(三) 被告は,原告が担当していた取引先であるD社から,主として学校の受験会場設営や就職セミナー会場の設営業務等を受注していた。被告がD社から受注するようになったのは,原告と個人的に親しかったAがD社の営業部主任であって,同社のイベントの発注を任されるようになり,それまで同社が他社に発注していたものを被告に発注してくれるようになったからであった。
D社は,従前被告にイベントの設営業務等を発注する際,使用看板本体の制作も含めて一括して依頼していたが,平成3年6月10日以降,看板本体の制作の発注が除外されるようになった。
(四) 被告は,D社から平成6年6月3日に開催されたI社主催の「平成6年度私立大学・短期大学入試説明会」の会場設営業務を看板本体の制作を除外して受注した。この担当者は原告であったが,原告は,看板本体の制作を被告が受注していなかったのにもかかわらず,D社からファクシミリ送信されてきた看板制作原稿に指示修正を加えるなどした上,看板製作会社であるG社に送付するなどの作業を行った。
このようなことは右にとどまらず,平成6年6月4日,E社主催,D社企画運営で開催された「進学サミット94」についても,被告は看板本体の制作業務を除外して受注し,担当者であった原告は,右同様看板制作の実作業に関与した。平成6年8月10日,E社から彩工房名義の銀行預金口座に130万円が振込送金されたのは右に関してであった。
また,被告が看板本体の制作業務を除外した会場設営業務を受注した平成7年3月16日,J社とK社が共同開催した「理工系テクノフェア」も原告が担当者であったが,原告は,右同様看板制作の実作業に関与した。
さらに,原告は,平成6年12月22日ころ,被告が一切受注していない「平成7年新年祝賀会」の看板制作原稿についても,「1994・12月27火 Am中にSビル6F甲野まで納品して下さい。」と記載する(<証拠略>)など具体的な納品の指定・手配等の実作業を行ってG社に送付していた。
4(一) 被告内では,平成7年になって,原告について,乗用車を現金で購入したり,高価な墓石を購入したりして生活が派手であるというような噂が流れ(なお,<証拠略>によれば,事実は,墓石の価格は100万円であり,乗用車は約230万円のトヨタカローラである。),また,被告代表者も原告が管理職会議にほとんど出席せず,行き先が把握しきれなかったりしたことがあって,原告の行動を不審に思っていたことから,被告代表者は,B社長室長に命じて原告の身辺調査をさせた。
その結果,彩工房及びその名義の銀行預金口座の存在と入出金状況,原告の担当していた取引先の被告に対する発注状況(B社やプランズ・アクトが介在するようになったこと,看板本体の制作業務が除外されるようになったことなど),原告が右除外された看板制作の実作業に関与したことがあったこと,原告は,被告が会場設営業務も受注していない催事に関する看板制作の実作業に関与したこともあったこと,原告が通常下請の見ることのできない元請の注文主に対する請求書の写しを所持していたことなどが判明した(なお,原告がその設立当時プランズ・アクトに出資し,Aとともに取締役に就任したことは,本件仮処分時に判明した。)。
(二) 被告は,原告の行為が在職のまま許可なしに他に就業することを禁ずる服務規律(就業規則45条6号)に違反し,その情状が悪質であるとして72条7号及び10号所定の懲戒解雇事由に該当すると判断した上,平成7年8月15日付けで,69条1号及び7号並びに26条5号及び7号に基づいて原告を出勤停止処分に付するとともに30日間の予告をして平成7年9月14日限り解雇する旨の意思表示をした。
右は,本件における被告訴訟代理人弁護士立会いのもと,被告代表者が原告に対し口頭で行ったが,同時に内容証明郵便(<証拠略>)も送付した。
(三) また,被告は,平成7年8月15日付けで,各取引先に対し,不都合な事情により原告を同年9月14日付けで解雇したこと,それまで原告を自宅待機にしていること,原告の退職後はその言動に責任を負いかねることなどを記載した文書(<証拠略>)を送付した。
そこで,原告は,被告に対し,本件における原告訴訟代理人弁護士を通じて,彩工房は原告の個人企業ではないこと,彩工房名義の銀行預金口座は一時期Aの依頼に応じて,同人の個人事業のために利用させていたこと,したがって,原告には背任行為等はなく,本件解雇及び懲戒処分は不当であり無効であるから撤回を求めること,被告が各取引先に対し本件解雇を通知したことは原告の名誉を毀損する行為であるからその回復を求めることを内容とする文書を内容証明郵便で送付した。
二 本件解雇の及び懲戒処分の効力
1 まず,通勤交通費の不正受給について検討する。
前記一2(一)のとおり,原告は,栃木県足利市に転居した後も荻窪のマンションを処分せず,その後も使用している。このことは,彩工房名義の銀行預金口座から同マンションでの使用にかかるガス,電気,水道などの公共料金が自動的に引き落とされていること(前記一2(三))からも明らかである。しかし,原告が荻窪のマンションを使用していたのは,被告における業務が深夜に及んで帰宅が困難なときや翌日早朝に出勤しなければならないときであり,被告においてはこのように仕事が早朝から始まったり,深夜に及ぶことも珍しくなかったのである(前記一2(一))。
右によれば,原告が栃木県足利市に転居した後も仕事の都合で荻窪のマンションを使用していたことは明らかであるとしても,そのことから直ちに原告が栃木県足利市ではなく荻窪のマンションに居住していたということにはならない。被告は,B社長室長が調査を行ったと主張するが,どのような調査を行ったのか判然とせず,荻窪のマンションを仕事の都合で使用することがあったという以上に原告がそこに居住していたことまでを認めるに足りる証拠はない。また,原告が栃木県足利市に居住するようになったのは昭和59年であり,そのころから通勤交通費を受給していた(原告本人)のに,原告が通勤交通費を不正に受給していた事実が平成7年にB社長室長が調査するまで判明しなかったというのも不自然であり,原告に対する通勤交通費を承認したことはないとする被告代表者本人の供述は採用できない。
これらのことからすると,原告が通勤交通費を不正に受給していたことを認めることはできない。
2 次に,彩工房,B社及びプランズ・アクトの件について検討する。
(一) 彩工房名義の銀行預金口座の入出金状況をみると,前記一2(三)のとおり,荻窪のマンションの使用にかかる公共料金の自動引き落とし,原告が娘の花子と2人で使用するために購入した乗用車の代金及びその修理費用の振込送金,D社やE社など看板制作に関する振込入金,看板製作会社であるG社に対する看板製作代金の振込送金など,原告の私的なものとそれ以外の営業上のものが混在している。
この点について,原告は,彩工房名義の口座はもともと花子のために開設した口座であったのをAに利用させたもので,営業に関するものはAの利用にかかるものであること,また,花子と2人で使用するために購入した乗用車の代金やその修理費用は原告がAから借りたものであることなどを主張する。そして,原告やAの各陳述書の記載(<証拠略>),証人Aの証言,原告本人の供述には,右主張に沿う部分がある。
しかし,彩工房名義の口座が開設されたのは花子のデザイン専門学校への入学が決まっていたとはいえ,まだ入学前の平成5年3月であり(前記一2(二)),その当時既に娘の花子が営業に利用することを想定して銀行口座を開設するというのはいかにも不自然である。このことは実際花子が同年8月にデザイン専門学校を退学してしまったこと(前記一2(二))に照らすと,すなわち,入学以前の時点で花子の将来は不確定なものであったという意味で,一層明白である。そもそもAがB社以外の名義の銀行預金口座が必要であったというなら,A自身が銀行預金口座を開設すれば済むことであり,敢えて彩工房名義の口座を利用しなければならない必要性も見出せない。
(二) また,彩工房名義の銀行預金口座の入出金状況にも疑問が多い。
すなわち,乗用車購入代金やその修理費用にしても,通常であれば,Aから原告に金銭を渡して,借用書等を作成した後,原告がこれをF社に送金するものと考えられるところ,彩工房名義の口座から直接振込送金され,借用書等は作成されていない。原告は,弁済に関する書面は存在するというが(<証拠略>),毎月ほぼ定期的に原告とAが実際に会って弁済金を手渡ししたというのも,原告は出張も多く業務多忙であったこと(原告本人)からすると疑問であるし,右書面によれば,修理費用30万円の弁済は平成6年10月から毎月約10万円ずつ同年12月28日まで行われたことになっているが,原告は平成6年12月に設立されたプランズ・アクトに150万円を出資していること(前記一1(四))からすれば,原告が30万円の修理費用をAから借りなければならなかった理由が判然とせず,この点からも右弁済に関する書面を直ちに採用することはできない。また,乗用車購入代金等については手元に資金がなければローンを利用することもできたのであるし,金利負担を免れたかったというのであれば,当時原告名義の他の銀行預金口座に右購入代金等と同額程度の預金残高があったのだから(<証拠略>),自己資金で支払うこともできたのであり,Aから借り受けなければならなかった理由は見当たらない。
さらに,前記一2(三)によれば,Aは,その4,5日前に原告から渡された30万円を平成6年6月30日に彩工房の口座に入金しているが,原告は右30万円について,公共料金の前払いであると主張する。しかし,同月20日にAから借り受けて乗用車の修理費用30万円を支払わなければならなかった原告がその数日後に30万円をAに公共料金の前払いにしろ30万円を預けるというのは疑問であるし,そもそも平成5年3月から平成6年6月までの1年3か月間で公共料金は合計約8万円にすぎなかったのに,30万円もAに預けるというのも不自然極まりない。
(三) むしろ,公共料金の自動引き落とし分及びF社への振込送金分は,実質的には原告の利用にかかるものであること,D社やE社からの振込入金,G社への振込送金は,従来被告が一括受注していたが,平成3年6月ころから除外されるようになった看板本体の制作に関するものであること(前記一3(三)),特に平成6年8月10日付けでE社から振込入金された130万円は,被告が看板本体の制作業務を除外して受注したE社主催,D社企画運営にかかる「進学サミット94」の看板本体の制作業務に関するもので,原告が看板原稿の指示・修正を行うなどその実作業に関与したものに関するものであること,その他にも原告は被告が受注しなかった看板本体の制作の実作業に関与していること(前記一3(四)),Aが30万円を入金した当日,G社に看板製作代金130万8306円が振込送金されているところ,右入金がなければ,預金残高が107万7815円しかなく,支払期日であったのにG社への送金はできなかったこと(前記一2(三),<証拠・人証略>),加えて原告が通常下請の見ることのできない元請の注文主に対する請求書の写しを所持していたこと(前記一4(一))などからすると,彩工房名義の口座は,原告が私的に使用していただけでなく,原告が単独であるいはAと共同で行った仕事のためにも使用し,そしてその仕事とは,被告もイベント設営業務の一部として受注していた看板本体の制作業務であったというべきである。
そして,Aが平成6年12月にプランズ・アクトを設立した後は彩工房名義の口座を利用しなくなり,同月28日の220万円の出金はAが預金を引き上(ママ)げたものであると主張するが,その後同月30日にD社から140万円余りの入金があり,それはその後引き上(ママ)げられず,原告の主張によれば原告の出捐は合計40万円しか入金せず(新規開設のときの10万円と平成6年6月30日の30万円),そこから公共料金が引き落とされたにもかかわらず,結局98万円余りが彩工房名義の口座に残ったままになっていること(前記一2(三)),原告にとっても,原告がプランズ・アクト設立時資本金の半額を出資して取締役に就任したこと(前記一1(四))からすれば営業上彩工房名義の口座を利用する必要はなくなったと考えられることなどからすると,プランズ・アクト設立後彩工房名義の口座が利用されなくなったことは,原告がもっぱらAに利用させていたことの根拠とはならず,また,原告が看板本体の制作業務に関与したことによって利益を得ていたものというべきである。
(四) ところで,原告は,D社から看板本体の制作の発注がなくなったことについて,D社からはもともとAの好意で受注していたのであって,Aが独立して看板本体の制作を行うようになって以降は,D社はAあるいはB社,プランズ・アクトに発注するようになったと主張する。しかし,仮にそのとおりであり,看板本体の制作業務の受注にAが関与していたとしても,原告が彩工房名義でこれに荷担して利益を得ることが,被告の業務の一部を被告に在籍したまま他に就業したことないし個人又は会社として同業を営むことに該当することは明らかである。
また,原告は,被告が受注していない看板本体の実作業に関与したことについて,Aの依頼によるとか顧客に依頼されたら断れない,また関与した数は全体から見ればわずかであり,極めて例外的なことであると主張する。しかし,これらを客観的に裏付けるような証拠はないし,原告の関与の仕方がデザイン原稿の修正指示など実質にわたるもので,積極的なものであることからすると,受注されていない業務をたまたまAや顧客の依頼でメッセンジャー的に製作会社であるG社に送付したという程度を越えているというべきであり,そのことからすると,原告の右主張も採用できない。
さらに,原告は看板本体の制作をイベントの設営業務から除外することについて,そのような事例も珍しくないと主張する。仮にそのとおりであったとしても,少なくともD社に関しては,被告は従前看板本体の制作も含めてイベント設営業務を受注していたのが平成3年6月ころから看板本体の制作業務を除外されるようになったというのであるから,被告のD社からの売上の減少を招いたことは否定できない。
(五) なお,被告はプランズ・アクトに原告が出資したことも解雇事由として主張するようであるが,被告は,本件解雇及び懲戒処分の当時,原告がプランズ・アクトに出資した事実を知らなかったのであるから,それ自体本件解雇及び懲戒処分の解雇事由に当たるということはできない。
3 右によれば,原告は彩工房を設立し,彩工房の銀行預金口座入金にかかる仕事に関して,Aと共同し又は単独で被告と競合する業務を行いその対価を得ていたものであり,右は出勤停止処分の事由を定める就業規則71条5号,69条1項,45条6号,解雇事由を定める26条7号,72条7号,10号に該当するというべきであるから,本件解雇及び懲戒処分は有効である。
なお,原告は,本件解雇及び懲戒処分は,不当な動機に基づくものである旨主張し,原告の陳述書(<証拠略>)の記載,原告本人の供述には右主張に沿う部分もあるが,これを裏付ける証拠はなく,直ちに採用することはできな(ママ)ず,他に本件解雇及び懲戒処分が権利の濫用に当たることを認めるに足りる証拠もない。
さらに,原告は,就業規則が従業員に周知されていない旨主張するが,被告は就業規則を保管管理責任者に保管させ申出があれば閲覧させるようにしていた(<証拠略>)のであるから,原告の主張は認められない。
本件解雇及び懲戒処分の手続について,原告は告知聴聞の機会が与えられなかったことをもって違法であると主張するが,就業規則には解雇の際,告知聴聞の手続を行うことは特段規定されておらず(<証拠略>),このような手続を取らなかったからといって本件解雇及び懲戒処分が違法となるわけではなく,原告の主張を認めることはできない。
三 慰謝料
1 前記二のとおり,本件解雇及び懲戒処分は有効であるから,不法行為には当たらず,したがって原告の本件解雇及び懲戒処分が違法かつ無効であるとの主張に基づく慰謝料の請求は理由がない。
2 しかし,本件解雇及び懲戒処分が有効であるからといって,被告が右事実を各取引先に文書で通知したことも直ちに不法行為に当たらないということはできない。たとえ真実であっても公然に事実を摘示してもって名誉を毀損する行為は不法行為に当たるから,被告の文書の送付が右に当たるかどうか別途検討しなければならない。
前記一4(三)のとおり,被告は,原告を不都合な事情で平成7年9月14日付けで解雇したこと,それまで原告を自宅待機としていること,退職後は原告の言動に責任は負いかねることを各取引先に通知している。右の通知文書(<証拠略>)は,原告の行為そのものについては「不都合な事情」と記載するにとどまり,具体的な事実を摘示していないが,「原告の解雇」,「自宅待機」と記載し,事実を具体的に摘示している。そして,解雇や自宅待機は,それが事実であっても,右文書を読んだ各取引先が原告は何らかの責められるべき行為によって被告を解雇されたものと理解するのは容易に推認できるところである。そうだとすれば,原告は,このような文書を送付されることによって,名誉を毀損され,社会的に信用を失い,広告代理店業やイベント設営業を行う会社へ再就職したり,独立して営業を行うのが困難になることもまた,容易に推認できる。そして,特に原告が大学時代に被告でアルバイト従業員として勤務するようになって以来一貫して被告に勤務してきた(前記一1(二))という経歴に照らせば,原告は,再就職するにしても,独立するにしても,被告と同業あるいはこれに関連する業務を行う可能性が高く,それだけに右のような文書を,いわばその業界に流布される不利益は甚だ大きいといわなければならない。
一方,被告からすれば,取引先との関係で,原告が担当していた顧客に対し,担当者の変更を通知する必要性は否定できないが,それ以上に原告を解雇等した事実を広く取引先に通知しなければならない必要性を認めるに足りる証拠はないことからすると,右のような文書の送付はことさら原告の名誉を毀損する意図で行われたものと解せられるのであって,被告の右文書の送付は不法行為に当たるというべきである。
右に述べたような原告の被る不利益及び本件記録上認められる事情を総合的に考慮すれば,被告が原告に対して賠償すべき慰謝料としては30万円が相当と認められる。
四 以上の次第で,原告の請求は被告に対し30万円の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余の点についてはいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,64条,仮執行宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 松井千鶴子)